チャールズ・デルショーwikipedia訳

 本日、『何空』ファン本打ち合わせ二次会の席上で少し話題になったチャールズ・デルショーについて、以前に英語版wikipediaのデルショーの項を訳したことがあったのでメモ代わりに載せておきます。


Charles Dellschau –wikipedia


チャールズ・オーガストアルバート・デルショー(Charles August Albert Dellschau 1830年6月4日〜1923年4月20日)はプロシア出身のアメリカのアウトサイダーアーティスト。


・生涯


 デルショーは小売りの肉屋であったが、1899年に引退すると、少なくとも13冊のノートいっぱいにファンタジックな飛行船の素描、水彩画、コラージュを描いた。彼はテキサス州ヒューストンのアパートの屋根裏部屋に住み、また活動していた。デルショーの最初期の作品として知られるものは1899年の日付の日記で、最後期の物は1921年から1922年の日付のある80ページのほどの本であることから、アーティストとしての彼の経歴はこの21年の期間であるとされる。デルショーの作品の大部分は彼が会員であったと主張する「ソノラ・エアロ・クラブ(Sonora Aero Club)」の活動の記録としてのものである。デルショーはこのクラブについて、19世紀中頃にカリフォルニア州ソアラに集った熱狂的な航空ファンたちだと書き記している。会員の一人はデルショーが「NBガス」と呼ぶ反重力燃料の製法を発見したという。彼らの目的はNBガスを揚力兼推進力とする世界初の操縦可能な航空機を設計・建造することであった。デルショーはこの飛行機械を「エアロ」と呼んでいる。デルショーはこれらの航空機のパイロットであったとは一切主張しておらず、自らをソノラ・エアロ・クラブの製図者と認識していた。彼のコラージュには当時の最新の航空技術の開発や事故に関する新聞の切り抜き(彼は「押し花」と呼んだ)が組み込まれている。


 デルショーのノートを隅から隅まで埋め尽くす素描の中の暗号化された物語によると、ソノラ・エアロ・クラブはNYMZAという名だけが知られる、より巨大な秘密結社の一部門なのだという。国勢調査記録や選挙人名簿、死亡届などを含む徹底的な調査にもかかわらず、コロンビア墓地の幾つかの墓石に記された名字以外には、この組織の実在を立証するものは何も見つからなかった。ヘンリー・ダーガーの『非現実の王国で』のように、ソノラ・エアロ・クラブはデルショーによるもっともらしいフィクションなのだと推測される。


・死後生じた評価


 大量の作品はすべてテキサス州ヒューストンのごみ埋め立て地に廃棄されてしまっていたが、捨てられたカーペットの束の下にあったのを、幸運にも中古家具商のフレッド・ワシントンが倉庫へ回収していた。聖トマス大学(訳注:日本の大阪の同名の大学ではなく、カナダの大学の方)のメリー・ジェーン・ヴィクターは、大学で航空についての物語を上演していたが、そこに展示するために、ワシントン氏にデルショーの作品の幾つかを貸してくれるよう依頼した。展示された素描は、テキサス州ヒューストンのライス大学の美術教官であり、また州内有数の美術品収集家でもあったドメニック・デメニル女史に深い感銘を与え、女史はワシントン氏からデルショーの4冊のノートを買い取った。コマーシャルアーティストでありUFO研究家でもあるピート・ナヴァロが残りを獲得した。後にウィッテ博物館とサンアントニオ博物館(訳注:ともにテキサス州)が4冊ずつをナヴァロから買い取っている。残りの4冊は最終的にはニューヨークの商業画廊に二冊が売却され、パリのABCDコレクション(訳注:アールブリュットの研究機関abcd協会によるアール・ブリッュト作品のコレクション)が1冊を所有し、もう1冊は個人蔵となっている。


 デルショーの死の約75年後に、彼の初の個展「チャールズ・デルショー ――航空学ノート」が、1998年にニューヨークのリコ・マレスカ・ギヤラリーで開催され、併せてその目録が作成された。


 彼のノートの内何冊かは、ウィッテ博物館(デルショーとダ・ヴィンチの作品を「想像力の航空機たち」として展示した)やサンアントニオ博物館(「飛行か、それとも想像か? ――チャールズ・A・A・デルショーの隠された生涯」と題した個展を行い、またフロリダのメニロ博物館でも開催した)、メニル・コレクションといったテキサス州の博物館に収蔵されている。デルショーの作品はまた、フィラデルフィア美術館やパリのABCDアール・ブリュットコレクションにも、そのまま一冊のノートの形で収蔵されている。アトランタのハイ美術館や、ニューヨークのアメリカン・フォーク・アート美術館、アメリカやヨーロッパの個人蔵のコレクションにも収蔵がある。デルショーの作品の展示はイベント「the Museum of Everything」の中でも行われており、2009年のイギリスのロンドンと、2010年のトリノでのこのイベントで展示されている。


・評論分析


 デルショーはアメリカにおけるヴィジョナリー・アーティスト(彼の作品はまたしばしば「アウトサイダー・アート」であるとも評される)の最初期の一人とみなされている。彼の作品は、新しい技術が人々の世界の見方を変えてしまうという楽観論的な視座の証拠である。飛行とは、デルショー以前の時代においては人間の悲哀や、為すべきではないことへの無力さの象徴であった。また、デルショーの作品は、しばしば繊細な色合いの濃淡の展色剤として水を使っており、あざやかな水彩画の展色剤の使い手として非凡である。


 ピート・ナヴァロのデルショーについての理論はUFOの目撃報告との関連を含んでいる。『デルショーの秘密』(デニス・クレンショー、ピート・ナヴァロ)はデルショーの物語と彼の作品に隠された秘密について書かれている。ナヴァロはデルショーの作品と手記について27年間の研究を行なった。ナヴァロによれば、ソノラ・エアロ・クラブとその活動について、デルショーの作品の中に巧妙に暗号化されたバラバラの文として隠されているのだという。今日ではデルショーの12冊のノート(およそ2500点の作品)は個別のページ毎に解体され、世界中に散らばってしまったため、作品全体を通しての研究を困難にしているとナヴァロは述べている。


 デルショーの作品にはサーカスの縞模様の影響がみられ、中心的な主題と装飾的な縁取りとして使われており、しばしば宝石のような輝きをもって描かれている。1998年のリコ・マレスカでの展覧会では、ニューヨーク・タイムスは以下のように評した。


 『彼のイメージとはすなわち、エキセントリックな気球や飛行船、あるいは空飛ぶ馬車、しばしば登場するこれらのパイロットや乗客たち、見覚えのある乗り物たちなどで構成された艦隊によって明確に定義される。モンティ・パイソンを思い出させるスタイルのリッツォーリ(訳注:リッツォーリはニューヨークに本社のある、有名な美術系出版社)が精巧に作り上げるように、言葉、名前および数と同様に数多の縞によって組み立てられて、デルショーの作品は宇宙のほとんどすべてをほのめかす』


 デルショーが飛行船の絵を描き始めたのは、1896年から1897年の「謎の飛行船」の集中目撃報告のすぐ後だと信じられている。謎の飛行船の目撃報告は今日では議論の的となっている。デルショーとソノラ・エアロ・クラブ、そして1896年から1897年の飛行船の目撃を関連付けた説は、クレンショーとナヴァロの『デルショーの秘密』の中で展開されている。


Charles A. A. Dellschau: 1830-1923

Charles A. A. Dellschau: 1830-1923

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The Secrets of Dellschau: The Sonora Aero Club and the Airships of the 1800s, a True Story

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