「Wonders in the Sky」読書メモ4

イントロダクション(続き)
エイリアンとの遭遇:人類の最も古い物語


ポップ・カルチャー(大衆文化)の文脈でのUFO研究では多くの「専門家」が、「空飛ぶ円盤」の訪問が第二次世界大戦の後に始まったと主張している。1947年6月24日に、アメリカ人の事業家にしてパイロットであったケネス・アーノルドがワシントン州レーニア山の上空で未確認飛行物体の編隊を目撃したことから「空飛ぶ円盤の時代」が始まった、という主張はUFO関連の書籍やテレビのドキュメンタリーでおなじみである。熟練した研究者の中には、(根拠を述べずに)UFO現象が現代の歴史的な出来事―あるアメリカのライターの言葉によれば"どうやら二世紀以上古いものではないらしい"―であることは自明の理だとする立場を取る者もいる。この「円盤の時代」という概念は、UFOは地球外知的生命体の宇宙船で、地球を研究又は監視しようとしてやって来ており、恐らくは広島や長崎の原爆がそのきっかけなのだろうという考えと密接に繋がっている。


 対照的に、もしこの現象がとても長い年月の間、変わらぬ姿で存在し続けているとしたら、単純な「ETの訪問」というシナリオで説明するのは難しいことになる。実際、多くの文献資料は、目撃報告の本質がはるか古代からのものだということを示している。カナダの研究者マイケル・パーシンガー博士は、アブダクションを扱った最近の著作で自らの所見をこう述べている―
"何千年もの間、既知の全ての文化で、ヒューマノイドによる「訪問」現象について普通の人々がそのあらましを報告し、またしばしば繰り返してきた。この事実は、経験についての心理学的な構造に永久的な変化をもたらした。「メッセージ」が社会構造を変革しようとする宗教的な運動へと人を導くようなものであった場合、その存在は神々であると理解されるようになった"


 歴史学の成果は、この主張の最後の部分を補強している。Incognita誌の編集長であり、またシカゴ大学の宗教史学の教授でもある、ヨアン・ペテル・クリアーノ教授は『Out of this World: Otherworldly Journeys from Gilgamesh to Albert Einstein』(Boston:Shambhara,1991)と題された著書の中で、UFOとアブダクションが地球外の存在によるものだという説は、人類の最も古い物語であることを、明確に述べている。クリアーノ教授は、民族記号論(ethnosemiotics)に基づいて、"人類は、文字を持つよりずっと前から、異世界と関係を持っているという信仰を持っている"ことと、"人類の最も古い文書と、その最も「原始的な」文化についての研究…両者が共に示すのは、異世界を訪問することが最優先事項である"ことを、断言している。クリアーノ教授は、現代のアブダクティー(誘拐事例体験者)たちとよく似た言葉で、基本的な疑問を呈している―"異世界を旅していたように見せかける彼らは、では実際はどこに行っていたというのか?"


 クリアーノ教授の積み上げた情報を列挙することは不可能だ、彼は上っ面をなでるようなことはしないと我々に警告している:
"異世界への旅に関連する全ての歴史的文書を収集することは巨大な事業であり、今まで誰も引き受けたことのない事業である" 。
この構成要素が各文化をカバーする明確な例は、東メラネシア(この地の人々はパノイ[Panoi]と呼ばれる死者の世界へと、肉体のまま或いは精神のみで行く方法を持つという)からメソポタミアまで、異世界への旅についての豊富な出典がある。キシュ(古代メソポタミアシュメール初期王朝)の王エタナ(Etana)は跡継ぎを授かる力を宿した植物を求めて天界に上ったという―これは典型的な例であり、ここでは再生産の主題が再提示されている。"エタナと共に我々は、天空から天空へと飛行し、眼下に見える地上がどんどん小さくなっていく。広大な海が風呂桶ほどの大きさに見える"、古代のアブダクティーの証言というわけである。


Out of this World: Otherworldly Journeys from Gilgamesh to Albert Einstein

Out of this World: Otherworldly Journeys from Gilgamesh to Albert Einstein